昔の集印帖wiki

折帖の構造

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折帖の構造

集印帖というと、ジグザグに折りたたんだ紙に、表紙と裏表紙をつけたものが多い。これを折本とか折帖(おりじょう)という。
ここでは、折りたたまれた紙の特徴から、「折帖1枚」と「折帖2枚重ね」に分けて説明する(※1)。

 折帖1枚

図1は、長い紙をジグザグに折った折帖を、上から見た図である。
この形は、巻物を同じ幅で折りたたんだものから発展したものといわれ、一番古いタイプの折帖である。

図 1

この場合、紙の長さには限界があるので、途中で別の紙を貼って継ぐことになる。そのため、継ぎ目では墨がかすれたり、うまく印が押せないことがある。

こうした欠点を解消しようと、図2のように、2つ折りした紙をたくさん用意して、それぞれの端を貼ってつないだ折帖もある。画帖によくみられるタイプである。

図 2

こうすると継ぎ目の問題はなくなるが、裏側は途中までしか開かないので使えない。とはいえ、紙が1枚であるため、図1も図2も、墨が紙の裏までしみたら使えなくなる点は一緒である。

また、折帖1枚のタイプの集印帖は、ページ数の多いものが多い。このサイトで紹介している集印帖の場合、折帖1枚のタイプの集印帖は平均54ページ、全部広げると5m以上になってしまう。これを屋外で落としたら、元に戻すのは非常に大変だっただろう。
こうした折帖1枚の集印帖は、大正後期から昭和初期にかけての時期に多く、それ以降は、次にみる折帖2枚重ねのタイプが主流になったようである。

 折帖2枚重ね

折帖2枚重ねは、2つ折した紙をたくさん用意して、それを交互に重ねたものに表紙と裏表紙をつけたものである。

上からみると、図3のような構造になっていて、表側が終われば裏側を使うことができる。

図 3

紙が2枚重ねてあるので、墨が裏側までしみて汚れることはほとんどない。そのかわり1ページあたりの紙の厚さが倍になるので、折帖1枚のタイプのようにページ数が多いものは少ない。このサイトにある集印帖の場合、平均26ページ、長さにすると約2.6mである。

図3は表側と裏側の紙の枚数が同じ例だが、片側の紙を1枚減らすことも可能で、裏側を1枚減らすと図4のようになる。

図 4

このサイトに掲載されている集印帖でみると、折帖2枚重ねのうち、表と裏が同じ枚数のものが8割、裏が1枚少ないものが2割で、表と裏が同じ枚数のものが多い。

 表紙

集印帖の概要でも述べたが、表紙には布が貼られているものが多い。具体的には、厚紙を芯にして、それをくるむように布を貼る。布の材質は、木綿や絹が用いられる。そして、布の上に題箋と呼ばれる細長い紙を貼っている。

たまたま表紙が剥がれた集印帖(※2)があり、表紙の裏側を見ることができた。表紙に貼られた布は、先に左右の長辺を折り返して貼り、その上に上下の短辺を折り返して貼っている。
また、中央には四角く切った新聞紙(※3)が貼られているが、これは四方に布を折り返して貼ったことで、布の厚みの分だけ中央がすこし凹んだ状態になったものを埋め立てるためと思われる。
そして、左右の長辺に糊をつけたようで、上下や中央には糊をつけた跡がない。これは、糊の節約という意味と、中央に糊をつけてしまうと、本文の紙が薄いと下の色が透けて見えてしまうので、それを避ける意味があったものと思われる。

集印帖No.233 表紙、表紙裏、表紙が貼り付けられていた本文紙


集印帖No.276 表紙、表紙裏、表紙が貼り付けられていた本文紙



ここに挙げたのは一例だが、他の表紙(裏表紙も含む)も、おおむね同じような形で作られているようである。

※1
 「折帖1枚」「折帖2枚重ね」は、便宜上使用している名称で、書誌学的な名称は不明。
※2
 ひとつは集印帖No.233。年代は、昭和11-14(1936-1939)年である。
もうひとつは集印帖No.276。年代は、大正15-昭和9(1926-1934)年である。
※3
 集印帖No.233に貼り付けられた新聞紙には、大阪の広告が掲載されているので、この集印帖は大阪かその近辺で製造されたようである。
なお、集印帖No.233の場合、表紙が貼り付けられていた本文紙の右側に、赤い線が引かれている。本文は右開きなので、赤い線は背側であることを示す目印なのかもしれない。
一方、集印帖No.276に貼り付けられた新聞紙は、「大阪毎日新聞」大正13(1924)年6月24日の朝刊である。


2014年12月1日作成 [集印帖全般]

最終更新時間:2020年08月07日 14時43分11秒